日本の下り坂はあと20年続く、かもしれない

日本近代史にある40年周期説とやらを図にしてみた。なぜかというと、池田信夫氏が日本は1930年代に似てきたと言っていたり、朝日新聞の昨年末の社説が1945年に生まれた「日本ちゃん」という不思議なキャラを出してきてもう「日本ちゃん」は65歳だよ、などと言うので、あらためて歴史の年数を計算してみたくなったのある。まったく何の根拠もない図なのであしからず。

注:この記事の内容はトンデモな部分を多々含んでいるので、本気にするのはやめましょう。

※戦前のピークを1905年(日露戦争ポーツマス条約締結)、戦後のピークを1985年(プラザ合意と続く円安)とするひともいます。

確かに大体40年ぐらいごとに「日本というシステム」は浮き沈みを繰り返しているように、見えないこともない。システムができてからしばらくは、紆余曲折はあっても、だいたい上り坂である。みんな、深く考えずにとにかく一生懸命がんばる。坂の上の雲とはなんと素晴らしいタイトルだろう。司馬遼太郎はまさに国民的作家であった。やがて、その「システム」での成功の頂点が訪れる。やったあ! 世界が日本を賞賛する。あの大国ロシアに日本みたいな国がよく勝てたね、とか、日本的な企業経営を全世界でお手本にすべきだ、とか褒めそやされて、日本、すっかり得意になる。そこから、下り坂は始まる。

今は、そもそも坂を上ってない

下り坂では、システムが上手く回っていたときには気に留められなかった「影」の部分が大きくなってくる。耐用年数の過ぎつつあるシステムを何とか維持するため、場合によっては悪辣で非人道的な方法が取られる。不況になるので、国民に不満がつのってくる。「日本を救いたい」と本気で言い出す者が出てくる。国民も救世主を期待するが、しばしば彼らは歴史の判断を誤る。(注:ここでは、現在の政治を言っているのではありません(笑)。それに、戦前も憲政会や政友会は政局にあけくれ、国民の支持を失っていた。そのとき、国を救うと言って立ち上がったのが、軍部という巨大な官僚組織だった)

古いシステムに必死でしがみつくものが多ければ多いほど、システム崩壊のときの痛みは大きくなる。

しかし、遅かれ早かれ旧システムは崩壊し、次の時代の新しい秩序が生まれる(か、そのまま下り坂が続いて国家が消滅する)。ひょっとしたら、崩壊が徹底的であればあるほど、次のシステムを自由に、先進的に設計できるのかもしれない。歴史にもしもはないけれど、1941年の御前会議で、リーダーたちにものすごく勇気があって、対米開戦を避けていたら、数年後に財閥解体や農地改革はありえなかっただろう。女性の参政権も最近まで認められなかっただろう。カーブの底は決して絶望ではない。ここはカオスで、しかしチャンスに満ちた時代。それは(このトンデモ図によると(笑))、これから20年のうちにやってくる。

ソフト・ランディングが必要

ユリイカ2011年1月臨時増刊号 総特集=村上春樹 『1Q84』へ至るまで、そしてこれから・・・

司馬遼太郎の後を継ぐ、現在の日本の国民的作家は、発行部数と老若男女のファンの多さから考えると、村上春樹ではないか(ま、彼は世界的作家でもあるわけだが)。時代の空気を感じとっていなければ、あんなわけのわからない物語があそこまで売れるはずがない。その村上春樹は、ユリイカのメールインタビュー(2011年1月号)で、「魂のソフト・ランディング」が必要だと思う、と述べていた。

二十一世紀に入って以降、社会的にもっとも大きな変化として感じられるのは、「これまで強固であると一般に見なされてきた地盤の多くが、その信頼性を失ってしまった」ということだと思います。
(中略)
冷戦のレジームが消滅したこと自体はもちろん歓迎すべきことなんだけど、それと引き換えに原理として半世紀以上のあいだそれなりに機能してきたものが――世界の枠をそれなりに支えてきた支柱が――取り払われてしまった。いっときは「市場経済」が時代の勝者として、その代役を果たすかとも思われたんだけど、それも見事にグローバルにはじけてしまった。そしてその空白を埋めるようなかっこうで、「原理主義」という別の原理が力を持つようになってきた。
(中略)
我々のなさなくてはならないことはおそらく、そのような混沌の中になんとかうまくランディング=着地することではないかと思います。原理主義ナショナリズム、ある種の極度な内向、そういうものを「ハード・ランディング」として定義するなら、それに対抗する(あるいはそれを中和しようとする)種々のムーブメントが「ソフト・ランディング」にあたると思うのです。(『ユリイカ』2010年1月増刊号 p.10-11)

彼は小説家だから、「年金」とか「国債」という問題を考える必要はないので、「魂の」と言っているけれど。

朝日新聞の社説(を残してくださった木走日記に感謝)は、やや簡便に、「斜陽の気分の中で思い起こすべきなのは、私たちはなお恵まれた環境にいるということだ。知識や社会資本も十分に蓄えられている。それらを土台に何か新しいものを生みだし続けていく。そうすれば、これからも世界で役割を果たしていけるだろう。」と結んでいる。

しかし、つけ加えるなら、「もし旧システムを温存したまま、新しい成長曲線に乗れると本気で思っているなら、それは多分無理だよ。並行して、これまでの戦後の日本の「影」、「負の側面」を清算しなければ。そうしないとひずみが残って、いつ痛みをともなう崩壊が起こるか分からないよ。何とかソフト・ランディングしなければいけないよ」と言いたい。


国破れて山河あり

あくまで仮にだけど、これから20年間、苦しい下り坂を続けた後、1925年〜1930年ごろに次の「日本というシステム」が生まれるとしたら、どんなものになるのだろう? 「リバタリアニズム」「コミュニタリアニズム」、はたまた「ソーシャルネットワーク」なんて流行りの言葉も頭に浮かぶけど、これについてはまったく分からない。今から誰にでも予想がつくような答えは、そのときには「時代遅れ」になっているのではないだろうか? あるいは、「システム」なんていう構造主義のことばづかいが時代遅れになっている可能性もある(笑)。

国破れて山河あり。個人的には、「経済」一辺倒だけでなく、日本の貴重な自然を大切にしてくれるような、何らかの価値体系を組み込んだシステム(?)になってほしいと思うのだが。