参院選が終わって

参院選が終わりました。後で修正しますが、今思っていることを書きなぐっておきます。

与党(民主党)はよく踏んばったと思います。テレビと新聞がこの8カ月間、全力で民主党をdisったことを考えれば。今の首相は退陣する必要はないと思います。
テレビや新聞は「惨敗」「大敗」と書いていますが、旧来のメディアは基本的に何でも疑ったほうがよいというのが、最近の私のスタンスです。
実感としては「微妙な勝利」「相手のオウンゴールによる勝利」「作戦勝ち」というのが正しい気がします。

たとえば、比例区では、「民主党は得票数が減ったというものの1845万票を獲得し、自民党の1407万票を上回っています」。


また、都市部の1票は、最低の場合、地方の1票の1/5の価値しかなかったようです。これ、参院選の結果とは別にして、首都圏民は本気で怒ったほうがいいんじゃないでしょうか。これでも合憲なんでしょうか。

それでも負けは負け。

この先、おそらく自民党は、日本の財政危機をここまで進展させ、格差を拡大させ、経済成長を止めたのはどこの誰かなんて、完全に棚に上げて、与党をひたすら批判し、必要な政策を通すのにも協力しないでしょう。そして、「ねじれ」の中、何も決まらないまま、日本の貴重な時間が過ぎ去っていくでしょう。それは裏を返せば、今の日本の「微妙に生ぬるい楽園」が数年温存されることになるかもしれませんが。

ここ何年も続いている、日本の尋常でない閉塞感は、まだしばらく続くでしょう。ただし、それはメディアがなすりつけているように、わずか8カ月間の政権交代によってもたらされた閉塞感ではありません。戦後の「日本というシステム」の制度疲労ですから。


この先、何も決まらない状態が続くのは必定ですが、マスコミは嬉々としてそれを糾弾するでしょう。これは間違いのないことです。マスコミは、「この国を作っているのは本当は国民である自分たちで、問題があれば、自分たちで解決策を考えなければならない」ということを思い出させるような番組の作り方はしていません。

「糾弾さえすれば、マスコミの仕事は終わり。どこかの誰かが改善してくれる」と思っています。当事者意識が欠けているのです。だから、マスコミが政治への不信感をあおるたびに「じゃあどうすればいいの? その先の議論が知りたいんだけど。首相を退陣させたところで、国民にはどう得になるの? ウン年前の日本に戻せば上手くいくと(まさか本気で)思ってるの?」と思うわけです。

そういえば、今年の前半、メディアがかかりっきりになり、視聴者を「またそのトピックスか」とウンザリさせた「政治とカネ」の問題。
時節が変わったと見るや、ぱたりと画面から姿を消しましたが。テレビ局や新聞は、基本的には「お上(=検察、警察)が言ったことをそのまま垂れ流すメディア」です。だって、お上の言ったとおりに報道しなければ、次から情報がいただけなくなってしまい、他者にスクープを取られるからしょうがないのです♪(詳しくは、下記の本も参照) 民主党のような新参者は「お上」ではありません。
たとえ「起訴の疑い」がどんなに低くても(低いからこそ起訴できなかったのです)、疑いがあるということ自体をくりかえし無批判に流し、テレビの前にぼうっと座っている人々に、「悪いことをしていたのかもしれない」というイメージを植え付けることはできます。一種の「洗脳」ですね。

暴走検察

暴走検察

タイトルは「テレビはつぶさなきゃならない」ですが、これはテレビが今後200チャンネルくらいになって、GoogleソニーのインターネットTVで好きなチャンネルを検索して見られるようになる、と言っているのでは、ありません。まさか、そんな過激なこと♪

「テレビだけを見て何となく情報を得た気分になっている日本人を、少しでも減らさなければならない」と思ったというだけです。でも、絶対にそうしなければならない。選挙が終わった翌朝、不意に思いました。
そのために何ができるのだろうか? 個人でできることは限られていますが、それでも一人ひとりがそういう意思を持つしかない。とにかく、テレビ以外の新しいメディアへの接触時間を増やしたい、と思いました。そして、自分自身もできるだけたくさんの、そして心から願わくば、良質なコメントやコンテンツを、少しでも上げられるようになりたいものです。

『民主主義が一度もなかった国・日本』(宮台真司、福山哲郎)

09年8月30日、日本に革命が起こったことに国民は気づいていない。」―――帯の文句に引き寄せられて、つい買ってしまいました(笑)。
↑大げさすぎる「引き」で、かなり警戒してしまうけど。いつ既得権益保持者のゆり戻しがくるか分からないんじゃない、と思って。

民主主義が一度もなかった国・日本 (幻冬舎新書)

民主主義が一度もなかった国・日本 (幻冬舎新書)


本書は、宮台真司と外務副大臣福山哲郎の「7時間の対談と、3日間の原稿チェック、政権交代後2ヶ月で緊急出版」と冒頭に書かれているけど、そうとは思えないくらい読み応えがあります。・・・・・というか、はっきり言って難しいです・・・・・。一文々々がものすごく凝縮されているので、読むのに時間がかかるのです。新書で対談なんて、もっとも読みやすい本のはずなのに・・・・・。でも、よく理解できないなりに、がんばって読んでいたら、私は、「第七章 日本の未来」まできて、突然、いきいきした、とてもハッピーな、未来イメージが目の前に浮かびました。


あと20〜30年もしたら、みんな、日本企業の最先端環境技術力の恩恵にあずかっていてですね、全国の住宅に太陽光発電パネルが取りつけられ、電気自動車を充電して・・・・住宅は超高度な建材・断熱材で、冬は暖かく夏は涼しく、電球はLEDで電気をほとんど使わない・・・・みたいな、いやそこまでは書いてなかったですがそういう未来のイメージ。

そのときは、今ある有名企業の顔ぶれも変わっていて、いわゆる「痛み」があって、トヨタは自動車よりも家を作っているかもしれませんが(もう作ってるけど)、それでもそうなるといいなぁ。ひ孫の代でもいい。100年前の人が今のiPhoneだネクサスワンだというのを見たら、相当びっくりするだろうから、今から100年後にどうなっているかは誰も分からないですよね。


十年以上先の明るい日本のビジョンを示すなら、この国が金融大国になれるわけもないし(投資ヘタだし)、環境立国を目指すしかない、世界に先んじて技術と次世代のライフスタイルを開発し、実利と、世界の尊敬を得るしかない。さいわい、手先の器用な(?)国民性と、「清貧わびさび思想」も歴史的にあることだし。と、漠然と思っているけどなぁ。


正しいビジョン(何が正しいかというのは非常に難しい問題だけど、ひとまず戦争や貧困を志向するのではなく、「地球上の“生命”を尊重する、“生命の質”を向上させる」方向性を正しい、としておく)が共有できれば、いろんな人がそれぞれの得意分野でがんばればいいんじゃないでしょうか。楽天的だけど。

『脳に悪い7つの習慣』(林成之)

 この本は、時々「?」と疑問に思うような文章もあるのですが、「へー」と思った点もあるので、取り上げてみました。

 脳が情報を処理する仕組みにもとづいて(と、著者は主張しています)、脳のパフォーマンスを最大限に発揮させる生活態度や習慣とは何か、が主題です。

 この本の中で私が、「これは信じることにしよう」と思ったのは、第4章「脳に悪い習慣 - 常に効率を考えている」で、「本は一回読むだけでは学んだことを活かせない」という箇所(笑)。

 私の相方は本が大好きで、新書や文庫を大量に買うんですが、1回しか読まないんですよね(^-^)。しばらくして内容を聞いても、ぼんやりした答えか、忘れてしまっていることが多い。仕事の専門書は読み込むんでしょうが、それ以外は流し読みというか、短時間で大量に読む、というスタイルなのです。もちろん、それが悪いわけではないですが。

 それに対して、私はどちらかというと、気に入った本は何度も読み返したり、関連する本を何冊か読んだ後で、それらをまとめてトピックの全体像を図などで把握したい、と思うタイプです。

 だから、この本に「良書は何度でも読め」「くり返し考えることで(ダイナミック・センターコアを情報がぐるぐる回ることで)思考が深まる」とか、書いてあるのがうれしかったりするわけです(笑)。日記やブログも、考えを整理するためにはいいことだ、と書いてあります。

脳に悪い7つの習慣 (幻冬舎新書 は 5-1)

脳に悪い7つの習慣 (幻冬舎新書 は 5-1)

 一方、「?」と思ったのは、救急医療の現場で、スタッフに「明るく前向きに」「グチをいわない」「悪口をいわない」「出勤前に最高の笑顔を作る」とルールづくりや、提案をして、食事も睡眠も満足に取れない職場をハイパフォーマンスで乗り切っているというくだり(p.47)。
 いえ、これはすばらしいことです。すばらしいことなんですが、どこか釈然としないのはなぜなんでしょう。たぶん、私はその現場に行かないことを選択する、と思うからでしょう(笑)。
 たとえばですが、これが救急医療ではなく、新興宗教の現場だったら? 食事も睡眠も満足に取れない環境で、勧誘スタッフを笑顔で、前向きに、ハイパフォーマーにする――これは間違いなく「洗脳」です。目的が違えば、同じ手法でも評価が変わってしまうのでしょうか。
 
 別の「?」は、とっても細かいですが、「KY」という言葉を、良いもののように触れている箇所(p.164)。
 ここは、友だちが少ないままリタイアを迎える団塊世代の男性のために書かれているような段なのですが(笑)。

 私は「KYは差別の用語」(『テレビは見てはいけない』より)というのは、同意します。「俺は今KYになっていないだろうか?」「○○ってKYだよね」という、「KY」という言葉の流行は、自分や他人の自由な脳の働きを委縮させるものだと思うからです。日本はそもそも欧米よりもずっと同調圧力の強い社会。そこで「KY」というような言葉をもてはやせば、さらにひどい圧力と抑制がかかってくるはず。

テレビは見てはいけない (PHP新書)

テレビは見てはいけない (PHP新書)

 ウォーレン・バフェットにせよ、ビル・ゲイツにせよ、スティーブ・ジョブズにせよ、圧倒的な成功者に「KY」的なことなど気にする人は一人もいません(笑)。組織内でこまこまと立ち回るためには、ある程度必要な能力かもしれませんが……。私は苫米地氏の「読まなければならない空気など本来ない」という意見に同意します。

『脳に悪い7つの習慣』


 話は戻って、『脳に悪い〜』で、「どんな上司が部下をいちばん伸ばせるのか」という箇所は、上司だったらためになりそうです。部下が主体性を持たないのは、上司や会社組織に一因あり?! 
 「一方的に指示だけして、相手の意見を聞き出すことをせず、「主体的に仕事をしない」と文句を言うのは、脳のしくみからすれば本末転倒」(p.90)――ここらへんが耳が痛いのではと。

『終身刑の死角』(河合幹雄)

終身刑の死角 (新書y)

終身刑の死角 (新書y)

データと詳しい実情にもとづいて、日本の刑務所、受刑者、被害者の事情について教えてくれるレベルの高い新書。

これと、最近読んだ『産科医療崩壊』(軸丸康子)のように、分かりやすいけど読み応えがあるものは、「よい新書」と呼んでいます(笑)。

簡単にいうと、裁判員に死刑を決断させるのは荷が重すぎるだろうという配慮(?)のために、「仮釈放なしの終身刑」を導入しようという案は、熟考されておらず問題が多い・・・という本。

刑務所の歴史的経緯も、現在の状況も、現実の受刑者の姿も理解していないし、
刑務所の"究極の福祉施設化"による国民の負担も議論されていない。

著者の意見に同意するかどうかはともかく、専門家はみんな、こうやって実際の数字をちゃんと出して、感情的にならず、いろいろな側面から考え抜いて、議論してくれればいいのにと思った。

以下は、「へえ〜」と思ったところのメモ。

法律の「最短」とは例外中の例外のこと


少年法では最短七年で仮釈放、十年で刑の停止が「法律上は」ありうる。しかし、これを取り上げて刑が甘いと騒ぐ人は、法律というものを「全く理解していない」。法律の最短とは例外中の例外のこと。特殊な事情が重なり合ったときの場合を想定しているのであって、現実にはほぼありえない。
実際にはどうかというと、少年犯罪で無期となった場合の早期出所の例は、最短で十二年というケースがあるが相当古い事例。五十五年以上収容されている少年事件の無期刑囚も一人いる。


仮釈放はすでに現在、ほとんど行われていない


少しずつ減り続けて、2007年はわずか「3人」(p.112)。そのうち2人は、以前仮釈放をしたことがあり、取り消されて再び服役してまた仮釈放になった人。今は、新規の仮釈放はほとんど行われていない。
長い間刑務所にいると(2007年で平均年数31年とか)、社会環境は激変、本人は年を取って体力・社会適応力が落ちているので、受け入れられる家族や環境がある程度整っていなければ、現実的には仮釈放なんてさせられない。実際、海外では釈放の前に絶望して自殺してしまう受刑者も多いらしい。

また、「限りなく死刑に近いが証拠不十分で無期刑」という無期刑の場合は、仮釈放になることはまずないらしい。仮釈放時の審査がある。もちろん今はそれがなくても、ほとんど仮釈放はないわけだが・・・。


日本の殺人事件では、「被害者の遺族」=「加害者の家族」が多い


日本の殺人事件では、加害者と被害者の関係は、親族が57.2%と最も多く(p.155)、残りも友人・知人(18.9%)が多い。 よく小説や週刊誌の題材になる、まったく加害者と関係のない「被害者」もいるが、これは少数派というよりレアケースで、むしろ「被害者の遺族」=「加害者の家族」が実は多いらしい。これは初めて知ったので、ちょっとびっくり。マスコミの報道はレアケースに偏りすぎだと思う。

死刑反対の問題は、信念に直結することもあり難しい。

仏教徒の法相もいたし、スピリチュアルでは人が生まれ変わることになっているから、「すぐ死刑にしてしまうとその人の魂の学びにならない。すぐ生まれ変わってしまうから。」などということもある。

でも現実的に、死刑も仮釈放も廃止したら、大量の囚人が、究極の福祉施設としての刑務所に押し寄せて、機械でオートメーション化された寒々しい刑務所をつくらないといけないかもしれない。
それで本当にいいのかっていうことと、その分の税金の負担は、きちんと議論が必要なんだなと思いました。

「まにけん!」マニフェスト検索システム

静岡大学の研究室が作った、2009年衆議院選のマニフェスト検索サイト。面白そうな研究室ですね。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0908/10/news044.html

「まにけん!」 http://manifesto.shuugi.in/

使い方は、タグかキーワード(たとえば「子ども」「天下り」「内需拡大」「消費税」など)を入れて検索する。「れこめん!」は同じ検索システムで、結果に表示された党名がないマニフェストを五つ星で採点していくことで、どこの政党に一番高評価をつけたか分かる。実際にやってみると、似たような文章が分かりづらくて(あ、マニフェストの文章がね)、あと内容が抽象的すぎて、評価も何もっていう感じはあるが・・・。それは、このサイトのせいではない。

『60分間・企業ダントツ化プロジェクト』(神田昌典)

神田さんの本はいくつも読んでいるけど、直接的にビジネスに関わる著作は手に取ったことがなかったかな。
でも、「60分で戦略を作れない人は、10年たっても戦略を作れない」という文句に妙に惹かれて読んでみました。


「商品」「顧客」「収益シュミレーション」が特に面白かった。
書いてあることはすべて実践的で、分かりやすい。これだけ分かりやすく書くためには、たくさんの経験と、踏み台となる事例があったのだろう。
中小企業、個人向けなので、小さなビジネスでも持っている人は、読んでみて絶対!損はないはず。
って、もう結構昔の本だから、読まれてるのだろうね。
一読後、巻末のチャートにすぐビジネスのアイディアを埋めたくなってしまうような楽しさがあります。

『60分間企業ダントツ化プロジェクト』

スター戦略構築法

マインドマップは、「商品」「顧客」以外、ブランチを非表示にしてしまったけど、興味があれば実物の書籍にあたってみてください。

『資本主義崩壊の首謀者たち』感想3

株でも何でも、投機の対象になるようなものの価格が上がったり下がったりするのは、庶民が、企業価値や未来の需給などを読み間違えたから、ではない。少なくとも、それだけではない。
http://d.hatena.ne.jp/mln244/20090713


2003年から日本では株価が上昇し始めたが、それは、「国際金融マフィアが日本を舞台に利益をあげるため、いつか引き上げる外国資金が一時的に入っただけ」(p.227)だという。だから、2003年の東証の外国人投資家の買い越し額は、8兆円を超えていた(2003年3月の東証時価総額は221兆円)。2003年から、「景気が良くなってきた」と言われても、一部の錬金術マジックを使った経営者以外の一般人にほとんど実感が湧かなかったのは、それが「外国製のバブル」にすぎなかったから。

そして、2007年2月に東証時価総額は581兆円をピークとして、2008年10月までに半分以下の239兆円になった。時を同じくして、外国人投資家の売り越しが跳ね上がって、2007年から数兆円になった。

株などをやっている人で、「値段が下がって、損をしたのは自分の責任だ」と思っている人は多いと思う。
でも、そうじゃない。のかもしれない。もっと怒っていいのかもしれない。というのがこの本を読んで思ったことだ。

暴落の最初の頃に売ることができた人は、莫大な儲けを手にした。「売り逃げ」は、「持ち逃げ」でもある。一部の市場の価格を操作できる人、真相を知ることができる人が、その他大勢の人(日本人)が少しずつ投資したお金を持って逃げた、ということ。

「日本の株価は、すべて外国人投資家の思いのままに動かされ、株価暴落のたびに、莫大な日本人の金が国際金融マフィアとウォール街に盗まれてきました。」(p.229)

自分は投資なんてしていないから(あるいはしていても少額だから、少しは勝っているから)関係ない、という人もいるかもしれない。
でも、そんなことはない。

サラリーマンなら毎月天引きされている厚生年金が、どのように運用されていたのか、それがこんな「売り逃げ」にあって(もう実際にそんな目にあってるけど)、親の年金が1/2に、自分の年金が0になったら、それでも関係ないと言えるのかな?
ちなみに、公務員の共済年金アメリカには貢いでおらず、日本国債などで堅実に運用されているという噂もある。もし本当だったらサラリーマンは誰も許さないと思うんだけど。

「日本人は金融に向いてない」とジョージ・ソロスは書いている。ウォール街では、最後に日本人に売りつければいい、と言われるともいう。
結構。金融に弱くてもいい。
日本人は他に得意なことがあって、それで価値あるものをもたらし、その対価としてのお金(貿易黒字)と尊敬を、世界から集めてきたんだから。だから、そうやって稼いだお金は、アメリカのためではなく日本のために使って欲しい。

資本主義崩壊の首謀者たち (集英社新書)

もっとも、この著者と反対意見の人の本も読まないと、バランスが取れなくて、判断が偏ってしまいそうな気もする(これは勝間さんの本に書いてあったこと。違う意見の本を最低三冊、というもの)。「アメリカ国債をもっとどんどん買おうよ! アメリカは必ず復活するからさ!」みたいな本がいいのかな(笑)。ちょっと探してみようか。